洛翔体操会について

 洛翔体操会は、京都大学、京都女子大学、京都工芸繊維大学、佛教大学、龍谷大学等、主に京都の大学の体操部員のOB・OGを中心として組織された会です。京都大学総合体育館をメイン練習場として共に練習に励んできた仲間達が集い、OB・OGと現役との心のつながり、又OB・OGの心のよりどころとして1976年4月に発足しました。これは京都大学体操同好会発足17年目、京都大学体操部創部12年目で、初代会長は初代同好会主将の西脇氏です。 会の名称は、1988年に多くの提案の中から平岡部長提案の「洛翔体操会」に決定しました。
 爾来歴史を途絶えさせることなく活動を継続し、2023年4月時点の会員はのべ294名になりました。

         揮毫 故 平岡正勝 先生
 図柄 平成7年卒 鶴泰宏 作  文字 令和元年卒 島元健吾 作

 京大体操同好会は昭和34年1959年に日比野朔郎部長、西脇一宇主将、二川和宏主務のもと吉田体育館で体操同好会として産声を上げました。1963年には阪大戦と近国体を開始し、リングを購入しました。当時、吉田体育館は雨漏りし、老朽化しており、リング、平行棒、鉄棒、跳び箱、マットしかなく、近くの設備の整った鴨沂高校や同志社大学や立命館大学等に遠征し、練習を行っていました。

 体操部としての入会は大塚岩男主務が体育会に申請し、同級生の水泳、ボクシング、フェンシング、アメフトの主将、主務に入会支援を頼んでおりました。転機は1964年の東京オリンピックの開催で、体操競技にあこがれた新入部員が急増し、永崎隆雄主将のリーダーシップで毎日のように練習するようになり、活動実績が認められ、平岡正勝部長、永崎隆雄主将、井上淳主務の時代の1964年11月に正式に体操部として認知されました。その後学連に登録し、1965 年度からは公式の大会に参加できる体制になりました。

 1965 年は活動が急激に大きく伸び、名和基之・小泉修三・真木・藤田明彦・天谷孝夫等経験者を含め多数名が入部し、やっと表向きに団体が組めるようになりました。また1965年には、永崎隆雄主将の友人の東大体操部の近藤氏の縁で東大戦を開始しました。 当時、小泉修三主務を中心に部員皆で資金確保の模擬店やお祭りのアルバイトやダンスパーティーを行い、リング、あん馬・跳馬、エバーライトマットを購入、屋外常設鉄棒ピット練習場を造りました。

 1966年には西日本学生選手権、全日本学生選手権男子3部に初出場しました。

 1967年にはトランポリン等の体操器具をそろえました。

 1972年には待望の新体育館ができ、活発な活動実績を背景に素晴らしい常設地下練習場を獲得できました。これには体育会幹部に就任した井上淳主務の体育会や体育館設立準備委員会での発言力の向上によることが大きく、更に大阪学芸大学から来られた山下謙智監督(故人)のご尽力ならびに当時の吉田豊主務の活躍の賜物で一流の器具とそれを常設できる練習場を確保することができ、次の発展に繋がりました。

 1973年には関西学生選手権に参加し、1974年(昭和49年)には東大戦が3校戦(東大、京大、横浜国大)に拡大し、3大戦が5大戦(京大、京都教育大、大阪大、大阪教育大、神戸大)に発展し、東大戦の女子の部が創設されました。

 1974~1978年緒方祥之主将時代、ダンスパーティー券販売で声をかけた学外(京女)女子大生T 嬢、Y 嬢、N 嬢、A 嬢、D 嬢が部員になり、女子部員が増え、部活動が明るく発展充実してまいりました。

 当会会員の注目されるべき活動は1988年より毎年9 月に開催される全日本社会人体操競技大会に出場していることで、毎回大会後、洛翔体操会安田稔氏が幹事となって東大、阪大、神戸大学、東北大学などのOB 出場者をとりまとめ合同の懇親会を開催し、50 名近い選手や応援者が集まっています。2023年の全日本マスターズ体操競技選手権には緒方祥之、天方一貴、安田稔、小楠幸治、永野公規、瀬形昌子、東高麗子、二井雄大、島元謙吾、高見建、奥内蒼馬の11名が出場しております。安田稔氏は35年間皆勤で出場し、当OB会最長不倒の記録を更新しています。

 日比野先生は体操運動を科学的に解明する体操研究会を1980年に発足させました。山下謙智先生(故人)が世界でも数少ない体操研究の書籍「体操競技研究」を1984 年に刊行され、この中には、OB の杉田洋氏が著した「鉄棒運動のシミュレーション」があり、この分野での先駆けでした。その後、山下謙智先生の人脈を通じて、日本の一線級の方々を毎年のようにお招きし、体操運動の研究会を開催しています。その一環としてあん馬の旋回運動について、東大の中村仁彦教授、岡山県立大学の後藤清志教授(故人)と取組み、「あん馬運動の解析」を日本機械学会に発表しています。その後,岐阜大学の山脇恭二教授に参画頂き研究を発展させています。この様な取組みを通じて、現役の技術向上に寄与すると共に、日本体操界への貢献にもつなげています。

 小泉修三主務の早世を機に創部当時のOBが集まり、生きている間に旅行合宿と運動競技を行なおうではないかとOBLympicを開催しています。開催地は2010年奈良、2011岡山・高松、2012福井、2013シンガポール、2013滋賀、2014伊豆、2015横浜鎌倉東京、2016年高松、2017東京、2018高松・小豆島と各地を巡っています。